『イート・エム・アンド・スマイル』 デイヴィッド・リー・ロス 1986年
言わずと知れた、ヴァン・ヘイレンの初代ヴォーカリストのソロ作です。
この能天気なポジティブ・オーラは、欧州のバンドには出せないでしょう。
ヴァン・ヘイレンがデビューした70年代末というと、ベトナム戦争終結から経済を回復基調に乗せて政権も安定したアメリカでは、反戦的なロック・カルチャーは影を潜め、明るいポップなヒットが多く生まれます。
デイヴィッド・リー・ロスは、そんな空気感を見事に表現したロック・アイコンでした。
何より、エディー・ヴァン・ヘイレンの超絶ギターを芸術作品のような高尚なものでは無く、大衆が楽しめるショーにしてみせて、バンドを大成功に導いた立役者です。
彼がヴァン・ヘイレンに在籍した1985年までの7年間で発売された6枚のアルバムは、どれも素晴らしいものでした。
私はどうしてもデビュー・アルバムの衝撃が強いのですが、彼がバンドを離れる直前のアルバム「1984」からは、「ジャンプ」「パナマ」「ホット・フォー・ティーチャー」というヒットが生まれ、当時、MTVで見ない日は無いほどでした。
この3曲のヒットは、ヴァン・ヘイレンはエディーという天才ギタリストのバンドであるという前提を覆し、デイヴィッド・リー・ロスのスター性をクローズ・アップさせることになりました。
ソロで活躍するには十分な下地ができあがります。
さらに彼は、バンドを脱退する前にソロで「クレイジー・フロム・ザ・ヒート」というミニ・アルバムを発表します。
4曲入りのEPで、全曲カバーでしたが、「カリフォルニア・ガール」(ザ・ビーチボーイズ)、「ジャスト・アジゴロ」(ビング・クロスビー)は大当たりします。
もう転職に迷いはありません。
デイヴィッド・リー・ロスは、ソロで成功すると、すぐにヴァン・ヘイレンを脱退して、翌年にはこのアルバムをリリースします。
彼の悪ふざけとも取れる明るさを好ましく思っていなかった私は、大ヒットしたソロ作を、凄いなとは思いながらも評価はしてはいませんでした。
ですから、このアルバム・ジャケットを見た時には、またやらかしてるな、と距離を置いた態度でいました。
ところが、何かの機会に音を聴くと、彼の能天気な明るさは相変わらずなものの、演奏が一筋縄ではいかない変態だったので驚いてしまったのです。
それもそのはず、ギターはあのスティーヴ・ヴァイ。
ヴァン・ヘイレンとフランク・ザッパを混ぜたら何になるのか、(トム・ブラウンはこの時にはいませんでしたが)気にならないはずはありません。
というわけで、発売から少し間をおいてから、ジャケットのアートワークは気に入らないものの購入に至ったわけです。
1曲目の「ヤンキー・ローズ」から、パワー全開。
スティーヴ・ヴァイのギターはウネウネ、ギュンギュンと遊びまくっています。
2曲目の「シャイボーイ」は、ビリー・シーンの高速ベースが後のミスター・ビッグを彷彿とさせるスピード・チューン。
ヴァイのギターも唸りまくります。
3曲目は、ホーン・セクションも入ったオールド・スタイルのロカビリー・ナンバー。
デイヴィッド・リー・ロスのヴォーカルに余裕が感じられます。
冒頭の3曲は、メンバーの持ち味がそれぞれに発揮されて、ロック・ファンを黙らせるに十分な迫力。
それ以降は、メインのデイヴィッド・リー・ロスを立てながらという感じにはなるものの、演奏力の高さは疑いようがありません。
7曲目の「エレファント・ガン」で見られるような、ビリー・シーンのソロからスティーヴ・ヴァイがからんでいって、ディビッド・リー・ロスがまとめるあたりは、ライブでやったら最高に盛り上がりそうです。
うーむ、良くできてる・・・。
デイヴィッド・リー・ロスは、多彩で器用な歌い手では無いのでしょうが、明確で強烈な個性を持つ稀有なアーティストです。
パフォーマンスから受ける印象で、歌もぶっ壊れているかと思えば、実はそんなことはなくて、けっこう堅実なヴォーカリストです。
なので、ボトムラインはしっかりと安定感を持って彼を支えることが求められる一方で、それだけではなく、何か飛びぬけた味を足すことで彼の個性が引き出されてきます。
それが、ヴァン・ヘイレンではエディで、このソロではスティーヴ・ヴァイだったわけです。
このアルバムがロック史の中でどれくらいの評価を受けているのか分かりませんが、曲も演奏も非常にクオリティが高く、アーティストの個性も感じられる良盤だと思います。
個人的に好きなタイプのアーティストでは無いとは言うものの、こういうポジティブなロックが売れていた時代がまた来るといいなと・・・。
投稿:2020.8.8
編集:2023.11.5
Photo by Noah Buscher – Unsplash