『マーキー・ムーン』 テレビジョン 1977年
ニューヨークのオルタナティブで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを継承したのは、どのバンドだったでしょう。
ティーンエイジ・ジーザス、コントーションズ、マーズ、D.N.A.・・・?
どれも、ちゃんと活動してないし、揃って「NO NEW YORK」じゃんか、というオチまで付いたので全部却下ですね。
1977年と言えば、トーキング・ヘッズが「’77」でデビューした年。
とすれば、このテレビジョンとトーキング・ヘッズが双璧という感じでしょうか。
トーキング・ヘッズが、一見すると一般人なのに切れると何をするか分からないサイコパス的な存在感を持っていたのに対して、テレビジョンは、見るからに近寄ってはいけないジャンキーな雰囲気を放っていました。
ジャケットの写真を見ると、暗く、ジメジメしていて、部屋干し臭がしそうです。
これでは、女性にもてないどころか、友達もいなさそうです。
そして、中二病の高校生だった私は、そんなテレビジョンに魅力を感じてしまったのでした。
当時、私の中では、テレビジョン(トム・ヴァーレイン)はトーキング・ヘッズ(デヴィッド・バーン)と並べるよりも、ヴァンダー・グラフ・ジェネレータ―(ピーター・ハミル)と同じ部類で捉えていたように思います。
今考えれば、同じ時期に同じ街でデビューしたわけですから、トーキング・ヘッズと並べる方が自然なのですが、おそらく私がトーキング・ヘッズをちゃんと聴いたのが「リメイン・イン・ライト」からだったというのが原因です。
この頃、ベトナム戦争が終結して新しい風を欲していたアメリカは、音楽にも新しいカテゴリーを求めます。
「ポスト・パンク」「ニュー・ウェイブ」など、今までとは違うと言うことで、流行を作ろうとしたわけです。
せっかく戦争が終わったのに、陰鬱なのはコリゴリだったのでしょう。
リズムは軽やかに、メロディーは明るく、音色は最新テクノロジーで、という感じです。
これは見事にあたり、言葉がニーズを生んだかのように似通ったニュー・ウェイブ系バンドがたくさん登場します。
テレビジョンもポスト・パンクとして世に出てくるわけですが、ラモーンズのような明快さも、トーキング・ヘッズのようなインテリジェンスも感じられない彼らは、いまひとつメジャーなファンを獲得できなかったように思えます。
ジャケット写真に、ロバート・メイプルソープという人気写真家を起用して、レコード会社としては売る気はあったようですが、何しろ本人たちがフワフワしています。(実際のところは分かりませんが。)
結局、翌年に、ニュー・ウェイブっぽさを味付けしたセカンド・アルバムを出して解散してしまいます。(その後、再結成されたとか、してないとか。)
さて、この「マーキー・ムーン」ですが、ポスト・パンク、ニュー・ウェイブといったトレンド・ワードでカテゴライズするには、どうにもアンダーグラウンドな雰囲気です。
そして、それが一般に受けなかった理由であり、逆にコアなファンを獲得した要因でもあると思えます。
時代が求めていた軽やかさやポジティブさこそありませんが、演奏はしっかりしています。なんとなく、世の中ともうまくやろうとしていたように感じられなくもありません。
トム・ヴァーレインのボーカルが特徴的なのは言うまでも無いのですが、今聴いてみると、フレッド・スミスというベーシストが良い仕事をしているように思えました。
彼のベースは、ボトム・ラインをしっかり支えながらも、ところどころで歌うように奏でられ、ともすれば地味な楽曲の魅力を増幅してくれています。
ポスト・パンクもニュー・ウェイブも、比較的にテクニックが無くても表現ができそうなタイプの音楽ですが、テレビジョンの音楽的なクオリティは高かったのではないかと思えます。
終戦をむかえて、エンターテインメントの世界でも多くの作品が作られる中、時代の求めとはマッチできず、どこにも居場所のなかった鬱屈したはみ出し者の残した、唯一のアルバムです。
(セカンド・アルバムは、私の中では無かったことにしています。)
投稿:2020.6.9
編集:2023.11.15
Photo by Prateek Katyal on – unsplash