劇場には足を運ばなかったのですが、アマゾンのプライム・ビデオで観られるようになったので遅ればせながら鑑賞しました。
以下、ネタバレあります。
幼少期に意図せず大量殺戮を行ってしまった少女が成長の過程で自らの過ちを知り、知らされていた話しと事実との違いや世間からの期待と自分勝手な正義に悩んだ末、再び大量殺戮を今度は自分の意志で企て、良く分からない戦闘の結果、生死の分からない最後を遂げる、というお話しでした。
私の大好きな『ワンピース』の「仲間を重んじる」というテーマや「悪魔の実」「危険な航路」などの設定は軽視されていましたので、これは『ワンピース』として論じるべきではないのだろうと思いました。
もちろん、『ワンピース』でないとしたら良い映画だったのかと言われれば、それも違っていそうです。
舞台設定、物語、配役、デザインは突っ込みどころ満載で、落ち着いて観ていられません。
エンタメですからリアルを追及しなくても良いのですが、そこには整合性というか納得感は欲しいわけです。はなっからこの映画をノンフィクションだと思う人はいないわけで、観ている側としては気持ち良く騙されたいのですから。
もう、冒頭から違和感のある設定ですし、それが『ワンピース』の世界であれば尚のことありえないわけです。
どこに違和感を感じたかを書き連ねるのは野暮なので止めておきます。
ただ全体として、これはごく個人的な印象で誤解なのでしょうが、制作側に原作への愛が足りず、興行成績をたたき出すテクニックが優先されたように感じられてしまったのが残念でした。
「どうすれば原作ファンが喜ぶか」「どうすれば新しいファンを獲得できるか」など、目標とすべき課題は様々あったと思いますが、今回の設定やストーリーからは「どうすれば最大の興行成績を得られるか」というブレストで挙がったカードを基本設定の上からペタペタと貼り足して、つじつま合わせの屁理屈まで作り出してしまった感じがしたのです。
能力者が死んでも解けない能力などのオリジナル設定や、客寄せや商品化狙いで配置されたようなキャラクター、バズを狙ったような決めセリフなどは、作品を面白くさせたどころか時間を無駄に使い全体の質を落としていました。
強力すぎるが故に歓喜とともに極大の悲劇をも巻き起こしてしまう能力を持つウタとその保護者としてのシャンクスの、親子であるが故の断絶と愛情。
大人として見守り導くのではなく、同世代を生きるからこそ共に助け合い理解し合えるルフィとの友情。
粗雑で愛情表現が下手なルフィを支える麦わら海賊団と、彼らを通して成長したルフィを理解するウタ。
こうしたことを丁寧に描くだけでも2時間はかかるでしょう。
個人的に戦闘シーンはどうでも良いのですが、ここに敵の存在を設けるとしたら、そこにも戦う必然性は必要になってきます。
『ワンピース』らしさに拘り尽くせなかったとしても、重要な点にだけしっかりフォーカスしてくれたら、もっと良い作品になったように思えます。
それでも興行成績は素晴らしかったので、制作陣の狙いは達成できたことになるのでしょう。
実際のところは知りませんが、この内容ならパッケージよりも配信にした方が儲かる仕組みだったのかもしれません。
おかげで私でも視聴できて、こうしてグダグダと書けるわけです。
作画はシーンによるクオリティの差が大きくて、ディレクションがうまくいっていないようでしたが、戦闘シーンではところどころに挑戦的な絵が見られました。
個人的な好みは別として、声優さんは上手です。アニメという表現を高めている重要な要素でした。
そして、圧倒的に良かったのは Ado の歌唱でした。
ただ、Ado のプロモーション・ビデオだと言うのは当たっていないように思えます。
Ado のPVとして観るなら、楽曲用のPVの方が出来が良いからです。
長編を作る映像作家と音楽動画を作る映像作家に、世代的なセンスの溝があるのでしょうか。
設定や物語が残念な中にあって作中の歌唱が作品全体を引き上げていた最近のアニメ映画のいくつかが頭に浮かびます。
今後も映画に優れた音楽アーティストを起用することには賛成です。
ですが映画を作る側には楽曲制作を超える緻密さと熱量を持っていただけたらと思ってしまいました。
この映画を楽しんだ方々とはちょっと違った感想になってしまったかもしれませんが、『ワンピース』という素晴らしい原作漫画があるからこそのひとつの見方ということでご勘弁ください。
投稿:2023.3.26
Photo by olena-sergienko – unsplash