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『さよなら、人類』 ~ 誇張と剥製化

2023年のGWに観たアマゾン・プライム・ビデオ

このGWは自室に籠って過ごします。
プライム・ビデオの「ウォッチリスト」に溜めたまま、観られないでいたものを観るのです。
もうすでに最新作や話題作では無くなってしまったものもありますが、観て良かったものについてコメントしておこうと思います。
鑑賞を検討されている方に、少しでも参考になればと思います。

さよなら、人類
面白グッズを売り歩く冴えないセールスマンコンビのサムとヨナタン。面白グッズはなかなか売れないが、その際に彼らは、様々な人生を目撃する。

『さよなら、人類』2014年公開されたスェーデン映画

タイトルが気になって、いつか観ようと思っていました。
説明には、”面白グッズを売り歩く冴えないセールスマンが様々な人生を目撃する”とあり、サムネイルには、お世辞にも魅力的とは言えない肥満体系の中年男が並んでいます。タイトルの文字が不似合いにポップなところが気になります。

オフィシャルサイトによれば、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品で、ロイ・アンダーソン監督の最高傑作らしいです。
映画の冒頭でこれは「人間であることに関する三部作の最終章である」と示されます。
監督の前々作『散歩する惑星』と前作『愛おしき隣人』に続くものということですが、前の作品を観たことがありませんので特別な期待も覚悟も無く観始めました。

いわゆるアート作品には慣れていますし、決して苦手な方ではないのですが、この作品は受け止めに困惑しました。
シュール、不条理、諧謔的、哲学的、詩的、絵画的など、こういうタイプの映画で使われる言葉がいくつか浮かびますが、どれもあまりしっくり来ません。観終わった後の感情はモヤモヤして居心地が悪く、気持ちが晴れません。
しばらく時間を置いて思ったのは、この”腑に落ちなさ”が人間なのかなということです。
決して多くの方にお勧めできるタイプの映画ではありません。
でも、このコメントを読んだうえで興味を持ってしまうような方って、きっといると思うのです。
そんな理屈ではない選択をしてしまう人間を、距離を置いて眺めている。そんな映画です。

誇張されたシチュエーションと剥製化された人間

映画がスタートすると、「3つの死との出会い」というタイトルが提示されます。
物語の進行役は二人の面白グッズを売り歩く中年男なのですが、彼らが何かをするというよりも、彼らの周囲で起こっている出来事を眺めていく、という作りです。
それぞれのエピソードには関係性が無く、あったとしてもドラマ性は希薄です。
映画全体を支配する雰囲気は陰鬱で、死を思わせるエピソードは3つどころか何度も登場します。

それぞれのエピソードを紹介するのは止めておきますが、共通するのは対象との距離感です。
小劇場で芝居を観ているように一定の近さを保ち、決して対象に寄り添いません。
演者はカメラを意識せずにその世界にとどまっていることもあれば、明らかにカメラに向かっていることもあります。
舞台は地理的にも時間的にも飛躍し、全体像をつかませてもらえません。
意図してやっているのでなければ、これほど下手な演出はありません。

描かれるのは、不条理な出来事のようですが、これらは誇張された現実のようでもあります。
すれ違う人間関係、むいていない仕事、脈絡のない言動、愚かな行動や無意味な時間、残酷な行為など、ありえないものを見させられるのですが、これは本当にありえないでしょうか。
エピソードにある不条理さは、実は現実世界でも存在しています。
むしろ原作者も演出家もいない現実世界は、理不尽な出来事だらけです。

異なるエピソードのそれぞれで、登場人物は電話の向こうにいる誰かに向かって「元気そうで良かった」と口にします。
しかしほとんどのケースでそれは相手を気遣う言葉には聞こえず、相手との距離を保っておこうという他人行儀さに聞こえます。
自分も相手も本当に元気でいるかは分からないし、実は分かろうともしていないように感じられるのです。
ひょっとしたら、それぞれの相手は結びついているのかもしれませんが、答え合わせはできません。
電話のこちら側とあちら側の両方が映画に登場しているのだとしても、それぞれの人生は別のものなのです。

映画は最初から最後まで暗いトーンで、スピード感が無く、色彩に乏しく、音の強弱もありません。
登場人物は悲観的な顔つきをしていて、豊かな感情や表情もほとんど表すことがありません。

映画の冒頭で人が博物館の剥製を眺めるシーンがあります。
この映画を通じて人間は剥製化されて、ただガラス越しに観察されていたのかもしれません。

人間を見る視点

この映画の本質は、極端に冷徹でシニカルで救いを与えずに人間を見る視点にありそうです。
この視点で世の中を見た時、それは喜劇なのか悲劇なのか、同じものを目の当たりにしても人によって見えているものは異なるのでしょう。

何かを表現によって訴えるのではなく、主観に基づく作為を排除して、ただ状況を提示することで、観客の中にある人間の見方を問う。それはなんだかとても寂しくて、残酷なことのようです。
私がこの映画を笑いながら見ることができなかったのは、私の中にある人間の見方がそうだからなのかもしれません。そして同時にこれは私自身を見る視点でもあるわけです。

日本語タイトルの『さよなら、人類』というのは、「こんなんだったらもういいよ」という意味にさえ思えてきました。
映画の原題『En duva satt på en gren och funderade på tillvaron』は直訳すると「鳩が枝に座って人生について考えていた」となるようです。
原題を深読みすることもできそうですが、もうお終いにしようと思います。

いずれにしても、あまり気持ちの良い映画ではありませんでした。
さて、ここまで読んであなたはこの映画を観たいと思うでしょうか?
少しでも関心を持てたという方は、あなたの中にある人間を見つめる目が何をこの映画に見つけるのか、試してみてもらえればと思います。

さよなら、人類
面白グッズを売り歩く冴えないセールスマンコンビのサムとヨナタン。面白グッズはなかなか売れないが、その際に彼らは、様々な人生を目撃する。

この言葉が思い出されてグルグルしているので、それを最後に。
「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」(チャールズ・チャップリン)

投稿:2023.5.2
編集:2023.11.13

Photo by ainur khakimov on unsplash

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