『スモール・クラフト・オン・ア・ミルク・シー』 ブライアン・イーノ 2010年
ブライアン・イーノが、ワープというレーベルに移籍してアルバムを出すということで注目を集めた作品です。
ワープと言えば、エイフェックス・ツインズなどが所属することで有名ですので、これは彼の環境音楽にテクノやトランスの恍惚感が入り込むのか?という想像が生まれたわけです。
環境音楽には、作者や演奏者という人間の創造性を感じるケースと、徹底して作者の意図や関与を排除してゆくケースがありますが、私がブライアン・イーノに求めていたのは後者の方でした。
ちょっと違いますが、エリック・サティの「ジムノペディ」を情感いっぱいに弾いている方に出くわすると、「これは違うな」と感じたりします。
この「スモール・クラフト・・・」のジャケットは、砂漠でしょうか。
人工的なデザイン・モチーフで無いということは、長尺のアンビエント作品なのかと思いきや、中身は、全16曲(日本盤ボーナストラック付き)、各曲約3分半、全体で約50分というものでした。
早速、聴いてみます。
・・・非常に、ワープっぽいです。
(説明になってませんが、たぶん分かる人には、これだけで通じる気がします。)
私は、ワープのいわゆるIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)は好きなので、これも興味深い作品だと思えます。
IDMは、トランス系の激しいものばかりではなく、静かなアンビエント・ミュージック調なものもあります。
クラブでかかるような音楽として広まったせいで、いわゆるダンス・ミュージックと誤解している方もいますが、これで踊れるとしても、ソウルやヒップホップなどとは趣の異なるダンス・ミュージックです。
爆音で音のシャワーを浴びたり、何か作業をする時の騒音としてあえて流したり、なんというか、いろいろ「使える」音楽でもあります。
そういえば、昔、美術家の村上隆さんとお仕事をしていた時に、彼の工房で「制作中は、どんな音楽を聴いているのですか」と質問したことがありました。彼は、その質問自体に関心が無さそうに「エイフェックス・ツインズをエンドレスで」と答えてくれました。
私は大学生の時に、テリー・ライリーらのミニマル・ミュージックやクラフトワークらのテクノ・ミュージックによる繰り返しの手法と、お坊さんが読み上げるお経をはじめとする宗教儀式や祭りにおける唄には、共通点があるのではないか、という主旨の論文を書いたことがあります。
ただ、調べてみるとバロック音楽やゴスペルなどにも、しつこい繰り返しというのはあって、その精神的な作用というのは様々な音楽でみとめられていることを知りました。
何か凄いことを発見したつもりで書き始めて、調べてみたら意外と凡庸な切り口だったというわけです。
仕方がないので、途中から、かつて永遠のように続く反復は修行や苦役によって得られたが、これからはテクノロジーの進化によってどうのこうの、と切り替えて書き終えたように覚えています。まあ、はるか昔の話しです。
脱線しましたが、ワープっぽというのは、悪い意味ではありません。
ここでは、人工的なもの人為的なものは排除されていません。
制作者のクレジットに、ブライアン・イーノに加えて2名の名前がありますので、彼らとの話し合いやセッションによって生まれた音ということなのでしょう。
人間が作り出した音楽らしく、興奮や癒しという効果が感じられます。
このアルバムの楽曲は、激しい曲調のものから静謐なものまでバラエティに富んでいて、対価を払うにあたっての納得感もあるかもしれません。
ブライアン・イーノとしては、自らの仮説を検証できたでしょうし、新たなファンの開拓にも役立ったかもしれません。
音楽が悪いわけでは無いですし、バラエティ感があり、お買い得ですし、癒されたりもします。
環境音楽とはどんなものなのか、という関心がある方には、何十年も昔の音楽を聴くよりも、こちらの方が入り口として良い作品だと思います。(と言っても、これも10年前の作品ですね。)
ずいぶん前のことですが、ブライアン・イーノは自身の作品について「聴くこともできれば、無視することもできる音楽。ステレオのボリュームを最小にして聞こえるかどうかギリギリのところで再生してみて」みたいなことを言ってたように思います。
このアルバムは、その頃の思いとは違って「聴く」ことを求めているように感じられました。
ボリュームも少し上げ気味で聴きました。
投稿:2020.5.4
編集:2023.10.29
Photo by Keith Hardy – Unsplash