『スラック』 キング・クリムゾン 1995年
このコラムは「自分の持っているCDを廃棄するにあたって、最後に一回聴いておこう」というのがきっかけで書き始めた訳ですが、改めて聴いてみて手放すのが惜しいと思ってしまうアルバムも時々あります。
Spotifyで聴けなかったり、既に廃盤になっていて再入手困難だったりするとなおさらです。
手放すことが前提になっていますので、絶対に手元に置いておきたいアルバムでは無く、どちらかと言うとマイナーなバンドや、いわゆる名盤ではないものが取り上げられがちです。
「そんなコラム誰も読まない」というのは分かっているのですが、きっかけがそうなので仕方ありません。
でも、今回は超有名バンドの名盤です。
なぜなら、CDラックに2枚あったからです。(なんじゃ、そりゃ。)
別のコラムで、前作『VROOOM』について触れているのですが、90年代に入って三度目の復活を果たしたキング・クリムゾンは、ダブル・トリオ(ギター、ベース、ドラムが2人づつの編成)でした。
メンバーは素晴らしい実力者たちで申し分ありません。
この編成でなくてはならない理由はいまひとつ分かりませんが、その当時にロバート・フリップに刺激を与えていたミュージシャン達であったということと、求める音楽をライブで演るために必要だったということなのでしょう。(商売っ気のあるロバート・フリップが、話題性のあることを企んだと疑わないではありませんが・・・。)
この頃のサウンドは”メタル・クリムゾン”と言われることがある通り、まさに重く硬質なサウンドに徹していて、シリアスな緊張感に満ちています。
ノイジーなギターサウンドながら、音の粒はクリアで、モヤっとしたところがありません。
管楽器やキーボードを排したのは、バンドのコンセプトを際立たせるために意図的にやったのでしょう。
”ヌーボー・メタル”という言い方もされましたが(ロバート・フリップ自身が言ったとか?)、今から25年以上も前、マーズ・ヴォルタやドリーム・シアター登場の10年も前にこの域に達していたとは、改めて驚きます。
個人的に、キング・クリムゾンを否定するときにロバート・フリップを悪く言いにくいので、気に入らないところは全てエイドリアン・ブリューのせいにしがちなのですが、今回の彼のギターは悪くないです。
悪ふざけのような音遊びから、狂気を感じるようなプレイに変わった感じがします。
ただボーカルに関しては(一般には評価されているようですが)、やっぱり私の好みではありませんでした。
アルバムは全15曲。5分前後の曲が並び、いわゆるプログレの大曲主義とはスタイルを異にしています。にもかかわらず、タイトル曲が繰り返される効果なのか、ひとつのコンセプト・アルバムのように聴くことができます。
『THRAK』では、70年代クリムゾンの混沌とした激しさと絶望的な抒情性と、80年代の粒の際立ったデジタルなノイズとクールさの両方から、固くメタリックな要素を抽出したかのような演奏を聴くことができます。
いくつかの曲で6人のインター・プレイが熱を帯びる瞬間には、何かヤバいことが起こっているのではないかと身の危険を感じるほどです。
若い人にとっては、70年代の作品にまで遡るよりも、このアルバムを聴く方がキング・クリムゾンの凄さを感じることができるかもしれません。
振り返ってみると、1990年代にはスタジオ・アルバムはこれ一枚しか制作されていませんでした。
しかし、2000年代のキング・クリムゾンへ続く布石は確実に打たれています。
改めて、これが四半世紀も前の作品だということに驚きます。
(ちょうど、デビューから現在までの中間点なのですね。)
90年代に蘇ったキング・クリムゾンを確認するために、必聴のアルバムです。
投稿:2020.4.18
編集:2023.10.22
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