『ハートに火をつけて』 ドアーズ 1967年
アメリカ軍のベトナムに対する武力行使は1961年頃からで、撤退が1973年頃から。
ドアーズでジム・モリソン在籍中の活動期間(アルバム発売した期間)は、1967年から1971年ですから、どっぷりとベトナム戦争の間です。
(バンドの顔でありヴォーカルのジム・モリソンが、1971年に27歳の若さでこの世を去った後も、残されたメンバーはドアーズの名前で活動を続けましたが、上手くはいきませんでした。)
このデビュー・アルバムが発売されたのは1967年。
この年、アメリカ軍はダナンに上陸し、翌年には50万人以上の兵士がベトナムに送り込まれました。
戦争が激化すると同時に、アメリカ国内では、反対運動も大きくなっていました。
グレイトフル・デッドやジェーファーソン・エアプレーンなどが、ヒッピーという共同体を大切にするスタイルで連帯したのに対して、ドアーズはあまり外交的では無かったように思えます。
昔のことなので実態とは違っているかもしれませんが、ドアーズ(ジム・モリソン)の関心事は世界平和のような外に開かれたものでは無く、上手く処理できない自分自身の心の内へ内へと向かっていたイメージがあります。
同じように薬物を摂取していたとしても、サイケなヒッピーは、オープン・エアなフェスで回している感じですが、ドアーズは締め切った部屋で独りでやっていそうです。
(あくまで想像です。薬物はいけません。)
ベトナム戦争とドアーズの関係で、今の50代くらいに特に強烈なインパクトを残したのが、1979年に劇場公開されたフランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」ではないでしょうか。
映画のハイライトで流れるのが、このアルバムのラストを飾る「ジ・エンド」なのです。
映画自体が狂気に満ちた大変な作品ですが、この曲は映像に負けないどころか、映像と一体になって見事なシーンを作り上げていました。
コッポラ監督とジム・モリソンは、ロスの映画学校で一緒に学んでいたという話しもありますが、年齢が少し離れていますから、親交があったかどうかは分かりません。このへんは、詳しい方に譲ります。
ただ、ジム・モリソンが自身をロック・スターとしてセルフ・プロデュースできていた(少なくともステージの上では)のは、映画の学習が役に立っていたのかもしれません。
ジム・モリソン在籍中のドアーズが残した作品は、どれも傑作です。
ヴォーカルの魅力が突出していたのは当然として、彼らの音楽を特徴づけていたのは、レイ・マンザレクのキーボードだと言えるでしょう。
楽曲にアート性を与えると同時に、知性的なバランスを取っていたように思えます。
楽曲のクオリティで言えば、デビュー以降どんどんと洗練されてきますし、どのアルバムからも着実にシングル・ヒットを生み出しています。
毎年、真面目にアルバム制作をして、ちゃんと成果をあげていたバンドだったのです。
ただ、このファースト・アルバムがロック史においても特別だと認められているのは、鬼気迫るバンドの一体感が感じられることが要因でしょう。
私も、ロック・バンドとしての混沌とした迫力は、このファースト・アルバムがいちばんだと思います。
(意外と、録音技術の向上によって、こもった音がクリアになっていったということもあるかもしれませんが。)
これは裏を取っているわけでは無い妄想ですが、ジム・モリソンが只者でないことは他のメンバーも気づきますので、セカンド以降は、より売れるためにジム・モリソンを前面に立てて、他のメンバーは望んでバックバンドのようになっていったように思えます。
楽曲のアート性はそのままに、陰湿だった部分は薄めていき、大衆的なヒットが狙えるような曲を作り、人気スターのジム・モリソンにスポット・ライトをあてて歌わせる。
戦略は上手くはまって、曲はヒットし、人気はうなぎのぼり。
光が強く当たれば当たるほど、彼の心の影は濃さを増し、仲間たちが笑い合う隣で彼の孤独は深まっていったかもしれません。
彼が謎の死を遂げたのも、成功が招いた悲劇とも考えられなくありません。
1曲目の「ブレイク・オン・スルー」は、いきなり彼らの代表曲。
鬱屈した今の場所から、どこか別の場所へ、とシャウトします。
「ソウル・キッチン」「水晶の船」「20世紀の狐」と続く曲の後、クルト・ワイルの「アラバマソング」をカバーして、アルバム中盤で大ヒット曲「ハートに火をつけて」を迎えます。(レコードだと、A面最後だったのでしょうか。B面最初だったのでしょうか。今の人には、A面・B面とか意味が分からないですね。)
「ハートに火をつけて」は、シングルヒットした曲ですが、7分以上あり、意外なことに、曲の半分はジム・モリソンの歌は無しで、キーボードとギターのソロ演奏が繰り広げられています。
にもかかわらず曲はヒットして、彼らの代表曲となりました。
後半も挑戦的な曲が続きますが、いずれも2分台の短い曲で、言ってみればラストの「ジ・エンド」への前奏曲のようです。
「ジ・エンド」は、先にも触れたように「地獄の黙示録」で使われた印象の通り、どこか呪術的な雰囲気さえ漂わせる名曲です。
12分弱ありますから、他の曲の4曲分の長さがあります。
これだけの名曲でありながら、他のアーティストがおいそれとカバーできるものではありません。ほとんど聴いたことはありませんが、有名なところでは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドにいたニコがソロでやっていますね。
ニルヴァーナもライブでやっていたようです。いずれにしても、抑制が効かないとシャーマンにはなり得ないのだと感じさせられます。
冒頭で、いわゆるヒッピーとは性質が違っていたというようなことを書きましたが、このアルバムを聴いていただければ分かる通り、既存の価値観への反抗やドラッグ・カルチャーなど、意識の根底で一致するところは多くあり、ヒッピーからの人気は高かったと思われます。
音楽の聴き方が変わった現代では意味が無いかもしれませんが、冒頭、中盤、ラストに重要曲を配置するというのは、今回のようにアルバムを通して聴く場合はやはり効果的だと感じます。
全11曲、45分弱とは思えない濃厚な時間で、聴き終えるとぐったりします。
ニコのアルバムは、こちら。
「地獄の黙示録」は、ブルーレイになっていました。映画館では、真っ暗だったので、観直してみようかな・・・。
投稿:2020.6.12
編集:2023.11.15
Photo by Marco Perretta – unsplash
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