『メタル・マスター』 メタリカ 1986年
私がロックを聴くようになったきっかけは、70年代のハードロックでした。
ハードロックを出発点として、その後、様々な音楽を聴くようになるわけですが、スラッシュメタル系には触手が伸びませんでした。
このアルバムが発売された1980年代半ばと言えば、マドンナやワム、A-HAなどが活躍していた時代です。
日本でも80年代後半はバブル期に突入し、音楽は恋愛の小道具のような用途で大量消費されていました。オシャレで居心地よくしてくれるものが好まれたのです。
ハードロックも、ヒットチャートでは、Mr.ミスターやサヴァイバーの人気がありました。
もちろん、ハードロック、ヘビーメタル、スラッシュメタル系の名盤も多く生まれた時期ではあったのですが(正直なところ、正しいジャンル分けは難しい)、暑苦しい長髪に革ジャン、マッチョな身体を誇示して大袈裟な威嚇をしてくるようなスタイルは幼稚な印象があり、音楽とは別のところで女性ウケしませんでした。
そんな時代にメタリカの3作目「メタル・マスター」はリリースされました。
th=”1″ height=”1″ border=”0″ alt=”” style=”border:none !important; margin:0px !important;” />ここで鳴っている音は、歪んだギターの低音リフがゴリゴリと規則正しく響いていて、漢(おとこ)らしさ全開です。
速い、重い、でかい(音とスケール感が)の3拍子揃っている上に、規則正しいリズムの反復が高揚感を高め、自然と頭が上下に揺さぶられます。
見た目が怖いので演奏も粗雑かと思いきや、ちゃんと地道な楽器の練習も積んだのでしょう、演奏もしっかりしています。
こんな演奏を続けることができるなんて、きっと根は真面目な人達に違いありません。
ただ、世界中が「We are the world」と歌っている時に、このアルバム・ジャケットで「Disposable Heroes」や「Leper Messaiah」を演るわけです。(凄い歌詞。)
もちろん確信犯でしょう。空気読めない感じがたまりません。
あの当時、このスタンスに共感してしまった不届き者も多くいたことでしょう。
聞くところによると、アメリカ議会図書館による「国家保存重要録音制度」というものの作品として2016年に選出されているそうです。
この制度は、10年以上経過した後に価値を認められたものが毎年選出されるそうで、同じ年にはビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」(1973年)なども選ばれています。
詳しくは分からないのですが、メタリカの「メタル・マスター」は、ジャンルを代表するアルバムと認められたということのようです。
2017年にリマスター・デラックスBOXが発売された時には、このアルバムはメタリカの傑作であり名盤であると、評価はさらに高まりました。
もう、はみだし者でもDQNでもありません。ジャンルを代表するトップ・ランナーです。
事程左様に世間の評価は極めて高い作品ですので、私ごときが腐すのは全く意味が無いことではありますが、個人的には全く思い入れが持てないアルバムでした。
ハードロックにありがちな大仰さや自己陶酔感はいいのです。
ただ、暴力的な音色が鳴りながら、そこには規則正しい統一感があり、全てがコントロール下に置かれた優等生的な音楽に聴こえてしまったのです。
この良さが分からないわけでは無いものの、気恥ずかしさが拭えません。
(あくまで個人の感想です。)
私はその後、1991年の「(通称)ブラック・アルバム」でメタリカにどっぷりはまるのですが、その耳で今改めて1986年の「メタル・マスター」を聴き直しても、以前の評価が変わることはありませんでした。
アルバムの中では、大人気の「Battery」や「Master Of Puppets」よりも「Orion」推しです。
こればっかりは、出来・不出来という話しではなく、好みの問題なのでご容赦ください。
それにしても、この男気を貫く潔さは、好きになってしまったら抜けられない任侠な世界ですな。
投稿:2020.7.3
編集:2023.11.4
Photo by Erik-Jan Leusink – Unsplash
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