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『風の谷のナウシカ』 宮崎駿

本・漫画

『風の谷のナウシカ』 著:宮崎駿 2003年

もしかしたら、「風の谷のナウシカ」を映画で知ってはいても、原作の漫画を読んだという人は少ないのではないでしょうか。

私が最初に「風の谷のナウシカ」を知ったのは、やはり映画でした。
今でもジブリ映画の中で最も好きな作品ですし、全ての映画の中でも上位に選ぶことを迷わないほどのファンです。

映画で描かれた物語は、戦争によって汚染された大地に生まれた新たな生態系と、そこで生きる人間を軸にしています。
ナウシカという強さと行動力を備えながら慈愛に満ちたキャラクターの魅力、人類による愚かな破壊と破滅した世界にあっても繰り返される愚行、長い時間をかけて営まれる自然界の再生への道のり、過酷な環境にあっても繋がれる人々の命など、様々な角度から作品を語ることができ、深いメッセージ性を感じることのできる名作です。

「風の谷のナウシカ」は、実は漫画よりも映画制作の構想が先にあったそうです。当時、原作の無いものに出資を集めることは難しかったという事情から、必要に迫られて漫画化を先に行ったのだとか。
原作漫画の連載が雑誌「アニメージュ」で始まったのが1982年ということは、38年も前になるのですね。映画が公開されたのは連載開始から2年後の1984年。映画公開後も少しづつ描き足され、漫画が完結したのは26年前の1994年でした。

映画の制作時点で原作のラストまで構想ができあがっていたかどうかは不明ですが、漫画の連載中に制作されたアニメ映画は、原作漫画の冒頭部分、2巻の途中までの話しで構成されています。
原作漫画は全7巻で、最後の7巻はページ数も多いので、映画で描かれているのは全体の1/4というところです。
実は映画は「風の谷のナウシカ」の序章でしかないのです。

映画では、大自然(蟲も含めた)による地球環境の浄化が背景にあり、そこに希望を見出せました。
風を読み、菌類を研究し、蟲と心を通わせる少女は、新しい生き方を示すヒロインでした。
しかし、原作漫画の3巻以降、話は複雑に入り組み、登場人物は増え、ナウシカの探し続ける答えは深淵さを増します。
重要な人物があまりにもサラリと物語に加わって来たり、心が通じるテレパシー能力が便利すぎたりというところが気にならなくはありませんが、そんなことは置いておいて、原作の物語はグイグイ進行します。
この、映画で描かれていない5巻分の密度は濃く、内容は深く重いのです。
漫画だしナウシカが可愛いから、と気軽に読み始めた方は、おそらくページが進むにつれて驚愕されることでしょう。
この読書は、まさに哲学的な体験と言ってもいいくらいです。

原作漫画では、「生きる」ことに焦点をあてる中で、死はもちろん、理不尽な暴力や戦争の残虐性、汚かったり臭かったり醜かったりする人間の現実も、そこに普通にあるものとして隠されるでもなく、またことさら強調されるでもなく描かれます。
アニメ作品から受ける宮崎駿さんのイメージは、ファンタジー好きのメルヘンな人という方もいるかもしれませんが、こうしたドライな世界の作り方からは、実はクールなリアリストなのではないかと思わずにいられません。

高度な文明を持ちながら愚かにも世界を崩壊させた人間は、ある試みをもって未来を後世に託します。
これは死して尚も世界をコントロールしようという驕りなのか、人類の希望の光なのか。
ナウシカの問いに答えが得られた時、彼女は何を決断するのか。

ぜひ読んで体験していただきたいので、私の下手な文章でネタバレすることがないように、そろそろ切り上げたいと思います。

特徴的なキャラクターが発するセリフに印象的なものが多くある作品ですが、今回読み直して、ヴ王の「失政は政治の本質だ」の言葉が歯に挟まって取れない異物のように嫌な感じで心に残りました。

瘴気の中ではマスクが必須で、生活圏では菌の発生を必死で水際対策していた人々の物語を、コロナ禍の時代に読み直し、命について考える夏なのでした、、、。

photo by johnny mcclung – unsplash


投稿:2020.8.16
編集:2023.11.2

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