『スケルトンズ・フロム・ザ・クローゼット』 グレイトフル・デッド 1974年
頸部脊柱管狭窄症(けいぶせきちゅうかんきょうさくしょう)というのだそうです。
右の肩甲骨の痛みがどんどんひどくなり、首や肩、右手の痛み、指の麻痺に至り、病院へ行き、レントゲンとMRIを撮ったところ、痛みの原因に付けられた名前がコレでした。(写真は、私の首のレントゲン写真です。)
強い痛み止めを処方してもらったのはいいのですが、痛みはひかないうえに、全身がもやーとして、突然、気を失うように眠ってしまうのです。
しばらくは、痛みに耐えながら、考えをまとめることも、文字を書くこともできないまま過ごしてしまいました。
で、「骨」と言って思い出すのは、このバンドでしょう。
グレイトフル・デッドです。
このアルバムは、ワーナー時代のベスト盤で、アーティストは制作に関与していないものと思われます。というのも、このアルバムが発売される前年にグレイトフル・デッドは独自のレーベルを立ち上げて、オリジナル・アルバムも発売していたからです。
アーティストが関与していないとは言っても、過去の楽曲が価値を失うわけでは無いので、それはそれで問題ありません。
1960年代半ばから30年にもわたる活動期間で、彼らは数多くの楽曲を残しました。
さらに彼らの場合、オリジナル・アルバムの音源だけでなく、様々なライブ音源も山のように存在するので、余程のフリーク(「デッド・ヘッズ」と呼ばれていますね)でもない限り、完璧なベスト盤を編集することはできそうにありません。
そうした中で、この「スケルトンズ・フロム・ザ・クローゼット」は、初期のグレイトフル・デッドを知ることができる便利なアルバムと言えます。
しかし、それは彼らの活動のほんの一面が編集されているに過ぎません。
グレイトフル・デッドというバンドは、そのバンド名やクマのアイコンの浸透度に対して、肝心の音楽は、日本ではほとんど知られていないように思います。
音楽的なスタイルは、カントリー、フォークをベースにした、いかにもアメリカ的なカラッと乾いたもので、このアルバムからもなんとなく幸福感に満ちた肯定的なイメージが感じ取れることでしょう。
しかし、こうした音楽が生まれる下地には、泥沼化するベトナム戦争、カウンターとしてのヒッピー・カルチャー、サイケデリック・アートがありました。
彼らの歌は、軽く聞き流せばライトで耳障りの良いものですが、その根本は、あらゆる既成の価値観から自由であることを謳う抵抗の歌でもあるのです。
直接的に政治を風刺したり「F」ワードが入ったR.E.M.の歌は規制されるのに、「コカインでハイになって」などと歌うグレイトフル・デッドが規制されないのは不思議なことです。
おそらく、グレイトフル・デッドを批判することは、良くも悪くもアメリカ的なものを否定することに繋がりそうなので、中高年のアメリカ人の賛同を得られないのでしょう。
文化の多様性を認めながらあえて言えば、このバンドはアメリカ文化を体現しているバンドと言えるように思います。
軽快なカントリー・ソングが実はドラッグを肯定していたりする文化的な背景を持っている、というのは、現代の日本人がアルバムを聴き流しているだけでは理解しにくいと思います。
そしてもうひとつ、アルバムを聴くだけでは分からないバンドの魅力は、彼らのサイケデリックな面です。
その魅力を知るには、ぜひライブを聴いて欲しいと思います。
スタジオ・アルバムには4分前後のラジオから流れそうな曲が並んでいますが、ライブでは10分を超える前衛的なジャムを繰り広げるグレイトフル・デッドを聴くことができます。
その演奏は、会話を楽しむようなフレンドリーなものから、初期のピンク・フロイドのようなインプロヴィゼーションまで、スタジオ・アルバムとは全く違うドラッグ・ミュージックなのです。
「おじいちゃんの時代に流行ったカントリーソング」では済みません。
グレイトフル・デッドの本質は、ライブでこそ知り得ると言っても間違いではないでしょう。
中小企業のマーケティング支援を仕事としている私としては、彼らのもたらした文化的・経済的な側面にも大きな関心があります。
ヒッピーは、反戦はもちろん、既成の文化や制度に批判的な立場を取ったので、キリスト教的な価値観、さまざまな差別、性的なモラルなどからの解放を掲げました。
また、自然回帰を訴え、共同体生活を志向し、物質よりも精神世界を重視しました。
こうした価値観は、グレイトフル・デッドの活動のベースとなっていて、そこからは、現代に通じるマーケティングが実施されていると考えられます。
そしてそれは、「モノを売るテクニック」では無く、「世界を良くして行こう」という根本的な哲学なのです。
例えば、彼らはライブの録音を許可していました。
録音された音源は、個人で楽しむだけでなく(営利目的でなければ)ファンの間での交換も認めていました。
最近でこそ、写真撮影が認められるコンサートや展覧会が増えてきましたが、SNSの無かった時代に、すでに「良いものはシェアすることで需要が減るのではなく逆に増えるのだ」ということを実践していました。
また、目先の利益を得ることよりも、本当のファンを増やすことに注力したり、中間業者を排して直接のコミュニケーションを重視したり、分かりやすいアイコンを設定して勝手な拡散を促したり、というように、80年代的なモノ志向、ブランド志向の経営とは逆のことを実践していました。
フリーミアムもシェアリング・コミュニティも、言葉だけ知っていて、結局何もしないでいる現代の経営者たちは、今こそグレイトフル・デッドを聴いて、愛と自由と世の中を良くするために行動を!
って、何の話しでしたっけ・・・。
文化的な背景やバンドの周辺情報に触れることで音楽の味わいも増しますので、アルバムを聴かれるのであれば、ぜひその辺も興味を持っていただけたらと思います。
権利関係なのか、このアルバムは配信にありませんでした。
編集している方がいたので、それを。
このLIVEも是非。
知らずに聴いたら、いや、知っていても、全然、違うバンドのようです。
個人的には、GRATEFUL DEADは、こっちです。
というか、公開されている音源が凄い数です。
投稿:2020.6.7
編集:2023.11.10
Photo by IntelligentVisualDesing – pixabay
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