『ア・ブロークン・チャイナ』 リチャード・ライト 1996年
プログレッシブ・ロックにおいてキーボード奏者は注目されがちな気がしますが、そうした中にあって、ピンクフロイドのリチャード・ライトは地味な存在でした。
実はバンド結成当初からのメンバーで、デヴィッド・ギルモアが加入する前からピンクフロイドでしたし、初期のサイケデリックな空気感は彼が作っていたと言えます。
ピンクフロイドの中でシド・バレットに続いてソロ作を出したのは彼でした(『ウェット・ドリーム』(1978年))ので、音楽作りに消極的なわけでは無いと思っていたのですが、バンドの中での自己主張はやっぱり控えめだった感じがします。
この『ブロークン・チャイナ』は、1996年にリリースされたソロ2作目。
かなり微妙な時期に作られた作品でした。
というのも、「ザ・ウォール」で主導権を握ったロジャー・ウォーターズともめて、次作からはバンドを離れています。
あまり想像したくありませんが、ロジャー・ウォーターズのことですから、リチャード・ライトの自尊心を傷つけるようなやり取りがあったような気がします。(知りませんが。)
1980年代後半にピンクフロイドがデヴィッド・ギルモア体制になると、ツアーのサポート・メンバーとして戻ったり、レコーディングにも参加していますが、心情的には複雑な状況のままだったかもしれません。
ピンクフロイドの『鬱』(1987年)にメンバーとして参加した後に、彼らしい抑制の効いたこのアルバムを作るわけですが、商業的には厳しかったことでしょう。
この頃の音楽のトレンドはプログレッシブ・ロックでは無く、ピンクフロイドでさえ過去のファンに支えられているような状況でした。
短めの曲が並び、リチャード・ライトの歌は力が抜けていて心地よいとは言うものの、独特の内省的で暗い音楽がチャートを賑わすはずがありません。
アンビエントとか、ヒーリングとか、何かユーザーを取り込めそうなキーワードも当てはまりません。
シンニード・オコナーが「Reaching for the Rail」と「Breakthrough」の2曲に参加しているところはセールス・ポイントかと思ったのですが、これらの曲もキャッチーさは無く、とことん地味です。
激しいノイズや踊れるビートは初めから期待していません。ただ、情感に訴える泣きのメロディなんかは、ちょっと欲しいと思ってしまうわけです。
もちろん、そういうクライマックスは最後まで訪れません。
時々聴こえる、デヴィッド・ギルモアのギターに、若干の感情の起伏を感じますが、それも短時間で終わってしまいます。
これだけ書いているので、多くの方におススメできる作品では無いことは伝わってしまったと思いますが、それでも世の中にはこういうのが好きな人というのもいるのです。
いたずらに感情を刺激したり、泣かせに来たりされると、そこにフィクションを感じて、逆に嫌悪感を持ってしまったり、恥ずかしくなってしまうような感性。
そういう方には、陰鬱な気持ちを淡々と綴るようなこういう音楽は、逆に心地よかったりすることでしょう。
タイトルは、音楽の雰囲気からして「壊れた中国」ではなく、「陶磁器の破片」「破壊された器」のような意味合いでしょうか。(漆器が”japan”と呼ばれるように、陶磁器を”China”と呼ぶことがあるそうです。)
壊れてしまったのは、彼の心なのか、周囲との関係性なのか、心を壊してしまったシド・バレットとの距離が近かったリチャード・ライトのことを思いながら聴くと、しんみりします。
Spotify にも Amazon Music にも、このアルバムはありませんでした。
CDも廃盤になっているようなので、興味のある方は見つけたら手に入れて聴いてみてください。
投稿:2023.11.20
Photo by Todd Quackenbush – Unsplash
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