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『THE GOOD SON』NICK CAVE & THE BAD SEEDS

音楽

『ザ・グッド・サン』 ニック・ケイヴ・アンド・ザ・バッド・シーズ 2010年

ニック・ケイヴを知ったのは、1980年代初期のザ・バースデー・パーティという、ゴシックっぽいノイズ・ミュージックをやっていた時だったと思います。
たしか、4ADという好きなレーベルからアルバムが出ていて、同じレーベル所属のバウハウスデッド・カン・ダンスよりもパンクで聴きやすかった半面、芸術性の面で引っかかるところが無くて、当時はあまり重要だと考えませんでした。

ザ・バースデー・パーティが解散してニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズを立ち上げた時も、ニックよりもアインシュテルツェンデ・ノイバウテンと掛け持ちで参加していたギターのブリクサ・バーゲルトの方が気になったくらいでした。

初期のニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズは、暗くシリアスで実験的な音楽を制作していました。
今のメンタルで聴き通すのは難しいほどダークサイドに落ちていますが、80年代の私は好きなタイプだったはずです。

この「THE GOOD SON」は、バンドの6枚目の作品。
オルタナティブな要素が削ぎ落され、基本的な楽器編成で哀愁の漂うメロディを淡々と歌います。
どうした、具合でも悪いのか?と声をかけたくなるほどの変わりようですが、これはむしろ逆で、彼の具合は良くなっていたようです。

このアルバム制作に関しては、これまでの薬物中毒を克服し、その過程で恋愛と別れを経験し、どんよりと曇ったイギリスを離れて、温かな南米で制作されたという情報があり、そうしたことが音楽に影響したことは想像できます。
とは言うものの、ニック・ケイヴですから、明るく楽しい雰囲気とはいきません。前向きな中にも、物悲しさが漂うアルバムです。

1曲目の「Foi Na Cruz」はブラジルの讃美歌から、2曲目の「Good Son」はアフリカ系アメリカ人の伝統的な歌から、8曲目の「The Withness Song」はゴスペルから、それぞれ影響を受けたそうです。
5曲目の「The Ship Song」や9曲目の「Lucy」のようなストレートなピアノのバラードなんて、昔の私なら完全にスルーしていたでしょう。
オルタナティブなノイズ・ミュージックを想像していると、完全に裏切られます。

当時は、このアルバムをどう評価してよいか分からず、CDラックにしまい込んでしまいましたが、今改めて聴くと、深い慈愛と哀しみに包まれ、居心地が良いと感じられました。
どうして、若い時にもっと聴かなかったのか後悔さえしています。
今回、再発見できてよかったと思います。

記憶の中の印象と改めて聴いて感じたものに大きなギャップがあったので、この機会にニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズの作品を、Spotifyでさっと振り返ってみました。

破壊的なイメージが強くて、どこかでそれを期待もしてしまうアーティストでしたが、これまでもメロウさが際立つバリトン・ボイスは披露してくれていました。
その当時の私に刺さらなかったというだけで、今、改めて聴くとどれも良いです。
そうした中でも、このアルバムは次の転換点へ向かうポイントになる作品だったようです。

今聴くと、80年代の実験音楽的なものも、90年代の歌ものも、2000年代に入ってからの新しいバンドも、どれもが素晴らしく、全てがニック・ケイヴという個性で彩られたものでした。
アバンギャルドな音が響いていようと、伝統的な音楽の影響が感じられようと、神を歌おうと愛を歌おうと、そこには他の誰でもない彼がいます。
努力や学習で身に付けることのできないアーティストとしての圧倒的な存在感は、異質で気持ちが悪い、というようなレベルです。

これだけの個性と楽曲がありながら、ポピュラーなヒット曲が無かったり、芸術性を高めるニュースが無かったり、アイドル要素が無かったりと、残念なほどにメジャーになりにくいアーティストです。
PJハーベイカイリー・ミノーグとのデュエットが入っている「Murder Ballads」(1996年)は商業的に成功したらしいですが、日本で話題になったという記憶がありません。
スタンダードとなるヒット曲さえあれば、ルー・リードのようになっていてもおかしくないというのに、一発屋でさえ無いとは・・・。
アーティストの価値と世間の評価は必ずしも一致しないということなのでしょう。

2010年代に入ってからも創作は続いています。
それらは、歌ものでありながら、オルタナティブでアンビエントな芸術性を感じさせる美しい作品です。
これは嬉しい発見でした。
これらのアルバムは、私の大好きなアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズを彷彿とさせるようなアプローチがあり、レナード・コーエンの「ハレルヤ」やルー・リードの「ベルリン」を聴く時のような、胸を締め付けられる深い哀しみに溢れています。
ただし、そこにある哀しみは、感情的になって嗚咽を漏らすのとは違っていて、ある種の諦観のようなものなのです。

「Push The Sky Away」(2013年)は、まだバンドでの音作りがベースに残っている感じがするものの、前作とは全く異なる美しいサウンドが奏でられています。

「Skelton Tree」(2016年)は、スタジオでの音作りとなっているようで、
よりパーソナルな印象を受けます。
このアルバム制作の前に、彼の中学生くらいのお子さんが、薬物が原因で亡くなるという出来事があったそうです。
その悲しみは、このアルバム全体に満ちています。
ちゃんと歌詞を確認していませんが、ところどころで耳に入るフレーズだけで泣いてしまいそうです。

「GHOSTEEN」(2019年)は、前2作をさらに推し進めたもので、感傷的な気持ちが普遍的な想いに昇華したように感じられます。

ちょっと、この3作は、CDを買って解説を読まないといけない気になってきました。
ニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズとしては異質だと感じていた「THE GOOD SON」の聴き直しをきっかけに、こんなに素晴らしいアルバムを知ることができるとは!

ディヴィッド・シルヴィアンが、ジャパンという名のバンドでセンセーショナルに登場した後、一変してアジアのテイストに傾倒し、その後、ソロとなってからは、ホルガ―・シューカイ坂本龍一らの協力を得ながら、現代音楽とも言えるような音楽活動を行っていったのと類似性を感じます。

「THE GOOD SON」について書いていたら、過去作から最近まで聴き直してしまい、脱線してしまいましたが、ニック・ケイブ&ザ・バッドシーズについて、再評価できた気がします。

80年代をリアルタイムで生き、あの頃の音楽を浴びるように聴いてきた私ですが、過去作に浸るのではなく、彼の最新の作品に魅かれています。



投稿:2020.8.17 
編集:2023.11.3

Photo by Gerold Hinzen

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