1984年にリリースされたアルバムから、好みのものをピックアップ
各カテゴリーにおける、個人的な重要度でセレクトしました。
昨年も同じテーマで書いたのですが、50作品は多すぎて自分でも読む気になれなかったので、今年40周年は40作品を4部構成で書いてゆこうと思います。
まず1部は北米を発信源とするメジャーな作品、続く2部はイギリス・欧州を発信源とするメジャーな作品、3部はポストパンク・ニューウェイブとアバンギャルド・アンビエント系の好きな作品、4部はプログレ、ヘビーメタルとジャズ、フュージョン系からのセレクトにしました。
ジャンル分けも選定も個人的な思い入れに基づくので、セールスなどのデータとは関係ありません。
それでも、同じような嗜好の方に届いたら嬉しいです。
*
リリース年は、主にSpotifyの記載をあてにしています。
シングルがヒットした年がアルバムのリリースと前後していたり、日本盤のリリース時期が違っていたり、Wikiの記載と違っているということもありますが、そういう時もSpotifyを優先しました。Spotifyが扱っていない作品については、Wikiやレコード・CDを確かめるようにしました。
順位は音楽の良さではなく、私の思い入れというか思いつきですので順不同です。
3/4 1984年のポストパンク・ニューウェイブ系 重要作 5
1.Cocteau Twins – Treasure
この時代、海外の音楽情報は北米が中心で、ヒットするにはMTVで話題になることが必須でした。
アメリカの大量生産型の音楽に胸やけがしていた大学時代の私は、ヨーロッパの音楽から好みのものを見つけることを楽しみにしていました。
ただ、インディーズ系の音楽は玉石混淆で、その多くは時間の無駄にしかならないゴミでした。
バイト代のほとんどを音楽に使っていたとは言え、なんでもかんでも聴くことはできません。
そんな時に頼りにしたのが、音楽レーベルでした。
クレプスキュール、ラフ・トレード、チェリー・レッドなどと並んで、「ここから出るものはなるべく聴こう」と思っていたのが4ADというレーベルでした。
このアルバムは、4ADから出たコクトー・ツィンズのサード・アルバム。
美しく耽美的でありながら、シューゲイザーのような攻撃性も内に秘めた幻想的なロックで、一瞬にして魅了されました。
ヒット・チャートに名を連ねたりすることは無かったでしょうが、この時代を彩った素晴らしい音楽ですし、40年を経た今でも好きな音楽です。
知る人ぞ知る、名盤です。
2.The Durutti Column – Without Mercy
メジャーな音楽シーンでは活躍しなかったかもしれませんが、この時代にドゥルッティ・コラムを聴いてハマった人にとっては人生で重要な一枚になっていることでしょう。
ミニマルでありながら抒情性を湛えるサウンドはどこまでも美しく響き、声高に何かを主張する音楽よりも深く人の心に刻み込まれます。
管楽器や弦楽器のアコースティックな音と、ヴィニ・ライリー(ドゥルッティ・コラムは、彼の音楽制作時の屋号のようなものですね)の奏でるエレキ・ギターの調和が素晴らしく、こういう音楽が流れる場所で一生を過ごしたいとさえ思ってしまいます。
私の大好きなタキシード・ムーンのメンバーがゲストで参加しているところも加点ポイントです。
好き嫌いは分かれるでしょうが、重要作品であり名盤であることは間違いありません。
ボリュームを上げて浸るのも、ボリュームを抑えて空気に溶け込ませて聴くのもおススメです。
3.Felt – The Splendour of Fear
ネオ・アコのムーブメントの中ではポップでも無く地味な存在だったと思うのですが、魔力のように人をひきつける美しさがありました。
淡泊で熱量の低いサウンドは、アンビエント・ミュージックのようでもあります。
ジャケットの写真は、アンディ・ウォーホルが作った実験映画「チェルシー・ガール」のもの。
ウォーホルはこの映像で、当時関心を持っていたヴェルベット・アンダーグラウンドとの日常にカメラを向けています。
しかし、私はフェルトの悲しげな音楽から、ウォーホルからボブ・ディランに乗り換えた後に破局してドラッグに溺れて破滅してゆくモデル、イーディー・セジウィックを思ってしまいました。
切なく、美しい音楽です。
4.Aztec Camera – Knife
ポスト・パンクの潮流としてひとつのジャンルとなったネオ・アコを代表するバンドの2作目。
ジャンルの中では比較的に明るく軽快な青春ポップな作風だったこともあり、幅広いファンを獲得していたと思います。
ネオ・アコは好きだったので、アズテック・カメラもよく聴きました。
ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」をヘナヘナ・サウンドでカバーして、ハードロックのファンから批判されていたのも微笑ましく思えます。
5.The Cure – The Top
この頃、バンドのフロント・マンであるロバート・スミスの名前はよく音楽雑誌に載っていたように思います。スージー&ザ・バンシーズに参加したり、ソロでも動きがあったり、インデペンデントなイメージの強いアーティストでしたので意外な感じがしていました。
このアルバムは、ゴスっぽさは抑えめで比較的ポップな作りになっているところが高評価であり低評価でもあるという微妙な作品でした。
私はよく聴きました。
これが選外?!
ここから私的 ポストパンク・ニューウェイブ 5 から漏れたアルバムですが、消してしまうのも惜しい作品があるのでコメントします。
The Psychedelic Furs – Mirror Moves
これを選外にしても良いのか悩みました。
サイケデリック・ファーズは80年代前半の人気バンドでしたが、日本では映画「プリティ・イン・ピンク」のテーマ曲を歌っていたことで再評価されたバンドだったかもしれません。
(曲のリリースは1981年ですが映画公開は1986年。主題歌を歌っていたというか、この曲が映画の原案になっているとの話しもあります。映画のサウンド・トラックは80年代初期のイギリス音楽シーンを反映した素晴らしいものですで、見つけたら即買いです。)
バンドにサックス・プレイヤーがいたことでロキシー・ミュージックを彷彿とさせ、ニューウェイブの味付けも良い塩梅でアートなロックでした。
この作品は、ジャケットがカッコ良くて気に入っていました。
The Pogues – Red Roses for Me
昨年(1983年)11月末、ボーカルのシェイン・マガウアンが亡くなり、クリスマスが近いこともあって「Fairytale of New York」(1988年「堕ちた天使」収録)を、涙を溜めながら何度も聴きました。
正直なところ、ポーグスを知ったのは翌年にエルビス・コステロがプロデュースした「ラム酒、愛、そして鞭の響き」でしたので、このファースト・アルバムはリアル・タイムでは聴いていませんでした。
しかし、彼らの音楽は時間が経っても魅力が色褪せることは無く、2024年の今聴いてもいぶし銀の美しさを保っています。
アイリッシュ・トラッドとでも呼ぶのでしょうか、こうした音楽は好みが分かれるでしょうし、日本ではあまりピック・アップされることが無かったかもしれませんが、音楽が好きだと言う方には、一度は聴いて欲しいバンドです。
このファースト・アルバム時点で彼らの魅力は十分発揮されています。ただ、初めて聴くのであれば、やっぱり「堕ちた天使( If I Should Fall from Grace with God)」を。
Prefab Sprout – Swoon
今も現役で良い作品を作り続けているバンドのデビュー作。
ただ、リアル・タイムではレコードが手に入らずに、後になって聴いたように思います。
ポスト・パンクのニューウェイブ感が強い中にも、独特のひねくれた工夫があって、聴いていて気持ちが良いアルバムです。
選外にするのは惜しいのですが、この時期の思い出が無かったので・・・。
The Cult – Dreamtime
おどろおどろしいオルタナを演っていたサザン・デス・カルトを改名して、曲調もハードロックに転身したという珍しいバンドで、(失礼ながら)意外なことにけっこう人気があります。
個人的にはこの転身にはガッカリしたのですが、数年後に私の大好きなモデルのイーディー・セジウィックを歌った(「Edie-Ciao Baby」)ので許します。
Mecano – Ya viene el Sol
スペインのニューウェイブ・バンド。
シンセ・ポップをベースにしつつ、ベースは主張が強く、イタリア語で歌うボーカルやコーラスは面白みがありました。
ニューウェイブのテイストは好きだけど、軽薄なピコピコ・サウンドやダンス・ミュージックは聞き飽きていた私は、珍しさも手伝って気に入りました。
ただ、当時はバンドの情報が全く手に入らず、継続して聴くことはありませんでした。
3/4 1984年のアバンギャルド・アンビエントなど 重要作 5
このコラムを書いていて、いちばん共有したいと思っているのがこのジャンルです。
知らない音楽があったら、ぜひ聴いて欲しい。
1.David Sylvian – Brilliant Tree
ジャパンを解散させた後、デヴィッド・シルビアンは芸術的な感性をさらに自由にしてソロ活動を始めます。
(ジャパンは最も過小評価されているバンドのひとつでしょう。)
ジャパンの頃から交流のあった坂本龍一とは「バンブーハウス」「戦場のメリークリスマス」といった成果を生み、そうした中で世の中のデヴィッド・シルビアンへの見方は変わってゆきました。
そしてリリースされたソロ第一弾は、期待を大きく上回る傑作でした。
参加したアーティストも、坂本龍一をはじめ、ホルガー・シューカイ、ジョン・ハッセルなど渋すぎる人選。
楽曲は歌もので構成されていて聴きやすく、何よりも選ばれた音色や間の取り方などのセンスが光ります。
芸術的才能、知性、美貌と、彼はどれほど神からの寵愛を授かったのかと憧れてしまいます。
ロックと現代音楽をつなぐ新しい音楽ジャンルを作り上げたと言える、時代を超えた名盤です。
私的には1984年のNo.1。
2.Harold Budd & Brian Eno – The Pearl
アンビエント・ミュージックの作品で最も聴いたのは、ブライアン・イーノとハロルド・バッドが共同制作した「Ambient 2: Plateaux of Mirror」(1980年)で、今でも聴いています。
「The Pearl」は、二人のコラボ第2弾。
こちらも、今でも良くセレクトするアルバムです。
人の作為を排した音が、どこまでも静かに美しく連なってゆきます。
ピアニストらしい演奏を感じるところが全くないわけではないのですが、そうした音楽的なところがあることで聴きやすくなっています。
1983年にはハロルド・バッドがソロで来日して、六本木のアクシス・ギャラリーでソロ・ピアノ・コンサートが開かれたのですが、私もその場にいました。
今でもその時に配られた小冊子「69PAGES」は手元に取ってあります。
3.Univers Zero – Uzed
ベルギーのチェンバー・ロック(管弦楽を融合させたロック)の代表格、ユニヴェル・ゼロの4作目。
ニューウェイブの安っぽいシンセ・サウンドが巷を賑わせている裏で、アコースティックな編成ながら、これほどまでに凶悪で挑戦的なロックがあったということを知って欲しいです。
クラシック音楽の歴史において、20世紀初頭からの新古典主義とは異なる挑戦的な音楽を提示していた近代音楽(バルトークとかストラビンスキーとか)があったことが思い浮かびます。
バンドの音楽は、シリアスでダーク。得体の知れない恐怖さえ感じます。とにかく凄いのです。
日常的に聴くような音楽ではありませんが、この頃にはハマりました。
お勧めするのは躊躇われるところがあるので、自己責任で聴いてください。
4.Laurie Anderson – Mister Hertbreak
この時代、アートの先端に“パフォーマンス”と呼ばれる身体表現がありました。
それは芝居だったり、舞踏だったり、演奏だったり、様々な手法を用いつつ、そのどれでも無いような斬新さが魅力でしたが、未成熟で実験的なことを良しとするようなところもあり、表現とは呼べない低レベルなものも多く存在していました。
当時、美術大学で現代美術を学んでいた私は、ときどき、怪しげな小劇場やライブハウスで催される“パフォーマス”を体験しにでかけていたのです。
ローリー・アンダーソンは、映像技術や電子音楽を使った前衛芸術家(パフォーマー)でした。
後にルー・リードと結婚しますが、基本的には音楽家というよりはアート界の方でした。
現代美術の作家が音楽活動をしたりビッグ・スターと結婚した例としては、オノ・ヨーコが浮かびます。
オノ・ヨーコとの違いは、ローリー・アンダーソンの方が音楽家としての活動がインデペンデントだったことでしょうか。
アーティストについてコメントしていると長くなってしまいそうなので止めておきますが、優れた作品と自己プロデュース力で非常に独特なポジションを確立した芸術家でした。
このアルバムは、彼女の2作目。
実験的要素が抑えられて、エレクトロ・ポップのアルバムとして商業的な成果も視野に入れていたように感じられます。
ピーター・ガブリエルやビル・ラズウェルの起用は、良いエッセンスになっています。
改めて聴いて、あれから40年もたったのかとしみじみ思いました。
5.Steve Roach – Structures from Silence
ちょうどこの頃から名前を聞くようになった作曲家で、今でも活動しています。
アンビエント・ミュージックを専門にしている方ですが、人間がシンセサイザーを使って作曲をしているという作為的なものが多い気がして、あまり積極的に聴いてはいません。
ただ、このアルバムは良いです。
音数が少なくて、時間経過がゆっくりしています。
まさに「静寂の構造」(fromをなんて訳すのがいいのでしょう?)という感じです。
これが選外?!
ここから私的 アバンギャルド、アンビエント系 5 から漏れたアルバムです。
少しだけコメントします。
Nick Cave & The Bad Seeds – From Her to Eternity
ポスト・パンクで様々な音楽が乱立する中、インダストリアルでアンダーグラウンドな活動をしていたザ・バースデー・パーティーを解散してニック・ケイブが作ったのがこのアルバムでした。
ノイバウテンのブリクサを仲間に入れてミュージック・コンクレート要素を持ち込みながら、基本的には相変わらずな印象でした。
音楽として聴くのはシンドイですが、あの頃(40年前)、私はこういうのをけっこう聴いていたのです。
実はニック・ケイブは2000年代に入ってからも新しい作品をリリースしていて、これらがどれも素晴らしいので、そちらは是非お勧めしたいです。
Tangerine Dream – Poland
ライブなので選外ですが、凄いです。
アンビエント風のシンセ・サウンドをイメージしていたら、全く違っていました。 ELPかというアグレッシブさ。
Mike Oldfield – Discovery
「チューブラベルズ」「オマドーン」による知名度が高く、マルチ・プレーヤーの録音オタクというイメージでとらえていましたが、この頃には歌モノのポップスを手掛けるようになります。
せっかく音楽的な才能も知名度もあるのにスタジオに籠らせておくのはもったいない、と偉い人に思われてしまったのでしょうか。(知りませんが。)
確かにトレンド的にはニューウェイブの波に乗らない手はありません。
このアルバムは評価を得たようでしたが、私としては逆に彼に興味を失うきっかけとなってしまいました。
Mike Oldfield – The Killing Fields (Soundtrack)
数年前にヴァンゲリスは「炎のランナー」を大ヒットさせていましたし、坂本龍一は「戦場のメリークリスマス」で良い作品を残しました。
「エクソシスト」に「チューブラベルズ」が使われたのは彼の意図するところでは無かったでしょうが、マルチな才能があるマイク・オールドフィールドは、映画音楽の制作には向いているように思えました。
ただ、この「キリング・フィールド」は、いかにもというBGMを集めたサントラ盤でしたので、ほとんど聴くことはありませんでした。
Klaus Schulze – Angst (Soundtrack)
クラウス・シュルツは、シンセサイザーを駆使して、アンビエントからテクノ、トランスなど様々な楽曲を生み出しているドイツの音楽家。
気になるので聴くのですが、多作な上に毎度似た音楽なので追いきれません。
この作品は、彼がオーストリアのホラー映画用に作った音楽。
「エクソシスト」の二番煎じだったのかどうか分かりませんが、こちらは映画も音楽も当たりませんでした。
映画音楽で言えば、ジョン・ゾーンの「巌流島」やフィリップ・グラスの「ミシマ」などもこの年の作品だったと思います。
なんだか電子楽器で現代音楽っぽいことをやっていると、映画音楽のオファーがきた時代だったのでしょう。
Jean-Michel Jarre – Zoolook
ジャン・ミッシェル・ジャールは、フランスの作曲家でありシンセサイザー奏者。
お父さんが映画「アラビアのロレンス」の音楽制作者だとか、美人女優を奥様にしたとか、ゴシップ情報を耳にしたりすることがありましたが、音楽は興味深いものでした。
シンセサイザーを使った音楽が溢れる中、YMOのようなポップさと民族音楽を思わせるアレンジなど、実験的な試みをしています。 ゲスト・ミュージシャンに、ローリー・アンダーソン、エイドリアン・ブリュー、マーカス・ミラーなどの名前があり、最先端の音作りに意識的であったことがうかがえます。
Manuel Gottsching – E2-E4
1970年代以降、ドイツは電子楽器を使った音楽で世界をリードしました。
こうした音楽的なアプローチはクラウト・ロックと呼ばれて、実験的なものからアンビエント、テクノ、ポップ、ハウスなどへ発展してゆきます。
クラフトワーク、タンジェリン・ドリームなどは有名ですが、アシュラ・テンペルもその中にいました。
前置きが長くなりましたが、マニュエル・ゲッチングは、そのアシュラ・テンペルに所属していたアーティストで、このアルバムは2枚目のソロ作です。
今聴くと、クラブでかかっていてもおかしくない反復型のテクノ・サウンドだと感じられるように、このアルバムこそがハウス・ミュージックの始祖かもしれないという点で重要な作品です。
このジャンルには詳しくないので解説できませんが、反復が陶酔を誘うということを明確に提示した作品でした。
(Spotifyでは1981年の作品になってますね。録音とリリースの時期が違うのかな。)
Cabaret Voltaire – Micro-Phonies
インダストリアルな音楽を聴きあさっていた頃に、その独創的なエレクトリック・サウンドが気になったバンドの6作目。
ただ、これはいつ手に入れて聴いたのか記憶に無く、改めて聴いても分かりませんでした。
少し他のアルバムも聴いてみましたが、今となってはあまり関心が寄せられませんでした。
The Residenta ‐ George &James
レジデンツは、マンウィズやAdoの登場する50年も前から顔出ししないで活動し続けている、目玉の芸術集団です。
このアルバムは、ジョージ・ガーシュウィンとジェイムス・ブラウンをレジデンツが再構築したというコンセプトなのでしょうが、個人的には「それがどうした」という感じで退屈でした。
なんだこれは、凄い、と感心させられたり、がっかりさせられたり、わけが分かりません。
もともと誰が何をやっているのかさえ情報が無いので、勝手に聴いて、勝手にいろいろ思えば良いのです。前衛とは彼らのようなことですから。
過去の前衛は今
1983年リリースされた思い入れのある作品について書いてきて、この第3パートが最も個人的な思い入れが強いジャンルでした。
情報もお金も少ない中で、探して悩んでレコードを買ったのに失敗だったということは数知れずありました。
それだけに気に入ったものに出会えると嬉しかったのです。
ただその頃、そうした話しができる友人がいなかったのは残念でした。
今も音楽について話せる友人はいませんが、そんなことがブログを書く動機になっています。
メジャーな作品は後年になってCDで買い直しているのですが、この第3パートのアルバムはCDで買い直しているものが比較的に少なかったです。
若い方にとっては生まれる前の前衛作品に価値を認めるのは難しいかもしれませんが、メジャーでなくても素晴らしい重要な作品がありますので、興味を持ってもらえたら嬉しいです。
40年前に前衛だったものが、今はあたりまえになっているところもありますし、今の時代にあっても異端であると感じるものもあります。
ここではインディー系でマイナーな音楽を取り上げましたが、メジャーな名盤についてもセレクトしています。
以下にまとめていますので、よろしければご覧ください。
投稿日 2024.1.15
コメント